全国のLizzyファンの皆さん、Thin Lizzy聴いてますか~?今日1月4日は、我らがヒーロー、フィル・ライノットの命日です。ええ、僕は聴いてますとも。・・・一昨日Grand Slamの記事を書き出すまでは、1月4日が彼の命日だったことをすっかり忘れていましたが(笑)。昨日はジョン・サイクスに対する不満を書いていたら、えらい時間と行数がかかってしまって(サイクスファンの皆さんどーもすみません)、Grand Slamについてまるで触れられずに終ってしまったので(汗)、今日は早速始めたいと思います。・・・それにしても2日前にGrand Slamについて書き出した時は、まさか3日も続けることになるとは思ってもいませんでした(笑)。使えるジャケット写真も少なくて、今日は15年前に買ったブートレッグまで引っ張り出してきてしまいました。・・・でも、フィルの命日まで続けてしまったことは、ある意味良かったですね。こじつけですが。
・・・ホントはThin Lizzyを解散させたくなかったけど、“さよならツアー”までしてしまったことによって、引っ込みがつかなくなり、泣く泣く解散させたフィルが、Lizzyの次に結成したバンドが、一昨日から記事のタイトルにだけは出てくる
Grand Slamです。結成時のメンバーは、ドラムにLizzy時代からの盟友
ブライアン・ダウニー、ギターに
ローレンス・アーチャー他1名。・・・いや、この人の名前読めなくて(笑)。
Doish Nagleという人なんですが。ドイシュ・ネイグル?・・・とにかくその人と、キーボードに
マーク・スタンウェイ。その後、ツアーに出ることを嫌ったブライアン・ダウニーに代わって、
ロビー・ブレナンがバンドに加入します。
“Studio Sessions” にはブライアンがドラムを叩いている音源も入っているようですが、昨日、今日と紹介した(まだしてないけど・・・)LIVE音源ではロビー・ブレナンがドラムを担当しているようです。・・・僕はLizzyサウンドの中でフィルの次に重要だったのは、ブライアン ・ダウニーのドラムだったと思うんですよ。彼のタイコって、他のハードロックバンドのドラマーとは違い、凄くスウィングしてますよね(個人的には、ミッチ・ミッチェル辺りと共通するものを感じます)。
ブライアン・ダウニーのドラムがLizzyサウンドの要 だったと思います。・・・最近では某金髪がThin Lizzy名義でツアーを行う時、トミー・アルドリッヂがドラムを担当したりしていますが、彼では駄目でしょう。・・・昨年行われたフィル・ライノット・トリビュートコンサートに金髪黒カスタム(“ファンの皆さんすみません”とか言っておいて、この呼び方は酷い・笑)が招かれなかったのは、彼のこうした行いがLizzy OBに反感を買っていたからだと僕は読んでます。
追記 :今月号のPlayerにゲイリー・ムーアの短いインタビューが載っていたんですが、インタビュアーにこれと似たようなことを指摘されたゲイリーは、“う~ん、彼のしていることに賛同はしないけれど、それが理由ではないよ”と答えてました。基本的には“時間が足りなかった”ということらしいです。・・・でも、“う~ん”というところが微妙ですね(笑)。
・・・残念ながらブライアンはバンドから早々に離脱してしまいますが、Grand Slamにおいて、フィルが音楽的パートナー、そしてイメージ戦略的なパートナーとして選んだのは(僕の想像ですけどね・・・)、ローレンス・アーチャーという若いギタリストでした。ジョン・サイクスとしばらく一緒に演ってみて、
“俺はやっぱりギャリーのように弾けるギタリストが好きだ!”と再確認し、ルックスの良い若者と写真に収まる
“俺と金髪”という構図がいたく気に入ったフィルが次に選んだのは、これまたゲイリー・ムーアのように弾ける金髪のギタリストだったのです(ローレンス・アーチャーの場合、フェイク・ブロンドっぽいですが)。・・・ローレンス・アーチャーも見事にゲイリー・ムーアのように弾けるギタリストだったんですよね。・・・でも、彼の場合、黄色いフライングVを弾いていて、Grand Slamのあとは一時的に
UFOのメンバーになったりもするんです。
“ゲイリー・ムーアなのかマイケル・シェンカーなのかハッキリせんか~い!”という感じですが(笑)。・・・このようなLizzy後期からGrand Slamにかけてのギタリストの選び方、更には亡くなる直前のフィルが再びゲイリーと組んだところから見ても、“フィル・ライノットがもっとも愛したギタリストはゲイリー・ムーアだった”と思えるのです(昨日の記事で言いたかったことをやっと説明できた・・・)。 フィルの書く独特な曲(勿論メンバーとの共作もありますが)の中で、若いギタリストがゲイリー・ムーアのような速弾きを決めるというのは、Lizzy最後期と同じですが、Grand Slamの音楽には、Loudness誕生前夜のLAZYのようにヘビーメタル宣言してしまった
“Thunder And Lightning”より、フィル・ライノットらしさが感じられると思います。
“The Studio Sessions”のDisc1は、フィルのソロシングルとしてもリリースされた
“Nineteen”で幕を開け、モロデモテープという音質(しかもドラムではなくリズムボックス)の
“She Cries”で終りますが(全10曲)、ゲイリー・ムーアがアルバム
“Run For Cover”で取り上げ、フィルと共演した
“Military Man”も入っていたりします。この曲はGrand Slamの持ち曲だったみたいですね。・・・で、僕がこの辺の曲以上にフィルらしさを感じるのは、
“Crime Rate”や
“Harlem”、
“Gay Boy”といった曲です。・・・“Gay Boy”って、あまりにも“まんまなタイトル”でこちらとしてもちょっと戸惑ってしまいますが(笑)、フィルはこういうの得意ですよね。Lizzy時代の
“S & M”とか(笑)。・・・そして、この3曲に加えて、
“Whiter Shade Of Pale / Like A Rolling Stone”という2つの名曲をメドレーにしたカバーがまた素晴らしいんですよ。こういうことを演って様になるのは、あとにも先にもフィルしかいないでしょうねえ。Disc2には、ラジオ番組出演時のフィルのインタビューや、Disc1に収められていた曲のデモバージョンが入っていたりしますが、Disc1でもデモ音源にしか聴こえない曲のデモバージョンなので、音質の素晴らしさは折り紙付きです(泣)。
・・・一方
“Live 1984”は、タイトル通り、1984年に行われたコンサートからの実況録音盤で、
“サウンドボードから直接録音されている”というのが売りですが、それって要するに昔からよくある海賊盤と一緒です(笑)。ここではGrand Slamになってから書いた曲の他に、
“Sarah”や
“Cold Sweat”といったLizzy時代の曲、ゲイリーの代表曲でもある
“Parisienne Walkways”などを演っています。コンサートの最後は
“Whisky In The Jar”で締める辺り、やはりフィルはアイルランドを愛してます。個人的には、
“Night In The Life Of A Blues Singer” をLIVEで聴けるのが嬉しいですね。“Live 1984”のDisc2はビデオCDになっていて(DVDではない)、同じく'84年の野外フェスティバルにおけるGrand Slamの姿を観ることができますが、画質はこれ以上ないというほど素晴らしいです(笑)。一見してお客さんがハンディカメラで撮影したと分かるもので、画面は勿論固定、しかもずっと黄色っぽくて、撮影している人(カメラマンとは言えない・・・)の前にいる人の後頭部は映っているわ、観客同士の会話がおもいっきり入っているわで、それはもう
物凄い臨場感です。何か、あまりウケてる感じはしないんですよねえ・・・。そして、今日ジャケット写真を載せた
“Live Document”は、僕が最初に聴いたGrand Slamの音源ですが、完全にブートレッグです。会場についての記述はありませんが、これまた'84年のLIVEで、音質的には“Live 1984”と大差ありません(笑)。 ・・・つまり、最近リリースされているGrand SlamのCDは、どれも
殆どブートレッグみたいなもんということです。こういった商売は決して良いものとは思いませんが(キーボードのマーク ・スタンウェイがこれらの音源を流しているっぽい・・・)、晩年のフィルが残した音源を聴いてみたいというファンは世界中にいると思うので、まあ許してあげましょう。・・・でも、マーク1人が儲けていたりすると、腹が立ちますね。
・・・ということで、3日間に渡って続けた
フィル・ライノット特集(うち1日はアンチ・ジョン・サイクス宣言に費やしまたが)、今日で一旦終りたいと思います。長々と御精読ありがとうございました。・・・いつか、アイルランドに行って、フィルのお墓参りと、銅像の横での記念写真撮影をしてみたいですねえ。